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昨年9月に、果汁協会にて「原料用果汁の適正な保管温度と省エネ」と題して研究発表を行ないました。いままで、オレンジ原料果汁(COJ)の凍結温度に関しての納得できるデータがなかっとことがそもそものはじまりです。以前から関心のある、粘度の測定において、温度は重要なパラメータのひとつです。当然、凍結してしまえばポンプによる"移送"ができなくなります。冷蔵タンカーによるバルク輸送に依存する当社にとってこれは大きな問題です。凍結しないまでも、温度を低下させるとそれにつれ粘度が急上昇し、移送効率が低下してくるでしょう。
 一方、微生物を含む、衛生面からはできるだけ低い温度に保管した方が安心といえます。ただやみくもに保管温度を低くすればよいのでしょうか? 2011年は大災害に見舞われました。ここでは、"省エネ"についても真剣な対応が求められました。 世界的にはCO2増加による温暖化対策も喫緊の課題です。もわれわれが扱っている濃縮原料果汁の世界でも安全・安心と省エネをバランスさせることが必要と考え研究をまとめた次第です。
これを国内だけでなく"Fruit Processing"誌を通じ世界にも発信しました。 (赤羽)

原料用果汁の適正な保管温度と省エネ.pdf

 

年末になると必ずその年を振り返って重大ニュース(10代ニュース)が発表されます。・・・ということで、会社の重大ニュースを10大ではなく3大で採り上げます。

 

<日本ジュース・ターミナル㈱の3大ニュース>

   FSSC22000取得を目指しました

今週12月14日~16日に認証機関であるLRQA(Lloyd's Register Quality Assurance Limited)の最終審査が行われます。そこで本年中に取得できるかどうかが判明するのですが、食品安全チームの責任者に聞いてみましたところ「取得できます」と、自信を持って言っていましたので、信用しても良いようです。

FSSC22000は食品安全マネジメントシステムの国際規格であるISO22000と、イギリスが開発したPAS220を統合して、国際食品安全イニシアチブ(GFSI)が制定した承認規格で、現在コカコーラやイオン等の大手の食品取扱企業が参加しています。我々は本年2月のキックオフ以降、社員全員で取得の為に努力してきました。添付した写真は弊社マニュアルの表紙です。

我々は組織全体を通じた食品安全対策を実現する為の手段としてこの認証を考えているのであり、取得することが目的ではないことを一応申し添えます。

 

   ②取扱量(出荷量)40,000トンを超える

12月のこれからの出荷量にもよりますが、達成されるものと思われます。2006年の39,228トンを超えて、操業開始以来の大台を達成することになります。社員一同、取扱量増大の為に頑張りました。嬉しいニュースです。

 

   ③3.11東北地方大震災

今から9カ月前、3月11日にはジュース船の1つ、Sol do Brasilという船が弊社横の岸壁に着岸していました。当地は震度3でしたが、津波警報が発令されたため、ジュースの搬入作業は中断され、約1日間、寝ずの待機が続きました。更にそれから2週間後の他の船の入船では、日本国内の放射能の影響を恐れて船は韓国から出港せず、大変待たされました。当地での大震災の影響は限定的でしたが、岸壁から100メートルの港内で、更に東海・東南海地震が予想されている土地に在る弊社としては全く他人事ではなく、災害への備えの重大さを非常に感じています。

 

2012年が我々にとって、明るい未来が描ける年となることを切に願います。

因みに私は辰年ですが、以前祖母からは、辰は強いエネルギーを持つので「良い年に生まれた」と言われていました。そんな言葉が証明される年であればと思います。(石川)

 

20111212162451_001.jpgのサムネール画像

過去7年間の日本のFCOJ輸入傾向とNJT充填量(≒出荷量)を調べてみました(2011年は10月まで)。

その特徴は:

  総輸入量は2005年の約99千トンから2008年の約72千トンまで年々減っていたが、2009年から増えており、今年は10月まで約74千トンで、年間多分90千トンは超えると思われる。価格が上がっているにも拘わらず、FCOJ総輸入量が増えることは、オレンジ果汁の国内消費が堅調なことであり、結構なことである。

  輸入元として、イスラエル、メキシコ、ベリーズが近年急激に増えており、米国が1%台にまで落ちてしまい、一昔前までの米国フロリダオレンジ果汁の面影は消失してしまった。ブラジルは全輸入量の8割以上をキープしており堅調ではあるものの、イスラエル、メキシコ、ベリーズに食われている。

  2005年以降の総輸入量に対するNJT充填量の比率は漸増し、2009年には50%を超えたが、2010年は50%を超えられなかった。今年も超えられそうもないが、11月約4,300トンで111月累計約37千トンとなり、12月に3千トン以上充填できれば年間4万トンの大台を達成できます。ぜひ頑張りましょう。

FCOJ輸入元別輸入量とNJT充填量推移(トン)

ブラジル

米国

イスラエル

メキシコ

ベリーズ

総輸入量

2005

87,432

4,618

1,283

2,228

946

98,892

2006

81,622

2,864

1,619

2,109

548

89,346

2007

71,723

2,298

6,336

2,901

67

84,448

2008

58,706

2,598

6,174

3,423

642

72,108

2009

58,473

2,791

3,881

4,929

1,603

72,833

2010

68,544

2,995

2,947

4,778

1,877

81,528

2011*

55,361

580

10,215

4,019

3,178

74,227

FCOJ輸入元別輸入量とNJT充填量推移(トン).png

総合防災訓練を10月27日に実施しました。
NJTでは毎年9月~10月に総合防災訓練を行っています。
今年は今までの想定(震度6強、津波は1時間以内に2m)を変更し、
東日本大震災並みのマグニチュード9、津波は30分以内に6m
としました。

訓練の概要は下記の通りです。
緊急地震速報発令⇒身の安全を図る⇒点呼⇒大津波警報発令
    ⇒ライフジャケット着用、水・食料の配布⇒屋上への避難

10時15分、デジタルなまずが鳴り、訓練スタート。

点呼.jpg

(停電して薄暗い事務所で安否確認および点呼)


「30分以内に6メートルの津波」の報告を受け、屋上に避難する前にライフジャケット、水・食料の配布を実施。
ライフジャケット着用.jpg

(配布されたライフジャケットを初めて着用)

津波の危険を回避するため、屋上に避難

屋上.jpg

(10時55分、停電して暗く寒い倉庫を通り屋上へ)

今回の訓練の収穫としては、下記2点をほぼ全社員が把握し、
理解できたことです。
1.ライフジャケット、水・食料の保管場所を把握した。
2.大地震時は大津波の可能性があり、屋上に避難する必要がある。


また、今回の訓練で明らかになったことは次の2点です。
1.水・食料の配布をしようにも袋などを持っていない人がほとんど。
  非常持ち出し袋を持っている人も配布された水・食料をリュック
  に入れるのに手間取っていました。
  非常食の備蓄と共に配布用の袋など、入れ物が必要。

2.目の前に懐中電灯があっても持たずに暗い中を避難する人が多数。
  倉庫内で停電にあった時の為に、倉庫入室時は懐中電灯を持参
  することになっており、入り口に常備してあります。
  しかし、停電で暗い倉庫を通り避難するにも関わらず、これを
  持たずに避難し、「1人1本の懐中電灯」が欲しいとの要望が・・・。

懐中電灯.jpg

(倉庫入り口に備え付けの懐中電灯)

最後尾の人に確認したところ、「何本も残っていましたよ」

人の行動とは不思議なもので、訓練と分かっていても非日常の時には、
分かっているはずの行動がとれないものです。
だからこそ、繰返しの訓練が必要なのです。

今後の課題は必要物品を手早く配布し、地震発生から30分以内に
全員が懐中電灯を持ち屋上に避難することです。

 

 

 

弊社では生産管理グループと社長、現場メンバー全員で、月曜日と水曜日に、CDを使用しラジオ体操第一を実施しています。ラジオ体操をしない火、木、金曜日はストレッチ運動という具合です。当初は「ラジオ体操」たかがしれてる。と思っていたのですが「言うに易し、行い難し」でやってみると結構ハードでビックリ。
なにげなくやっている時もしばしばですが、中年の自分には一日の始まりにはもってこいだと思っています。この企画は、月曜日と水曜日にヒヤリハットの発生が多かったためその防止策として始めたもので、ストレッチは社長自身の発案です。
参加メンバーは10名程度と多すぎず、少なすぎず。体操中の取り組む姿を見ればその人の熱の入れようがすぐにわかります。
「ラジオ体操」軽く見てはいけませんね。効果や効能は思っている以上に良いようですから。

ブログ原稿写真(2011年1月24日).JPG

あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。


さて、弊社には開業当初から枯れずに17年半以上無事に生き延びている植木がいくつかあります。枯れそうになっているところを救ったものもあります。
幸福の木もその中の1つです。当初は大きく仕立てたものが数鉢あったのですが、だんだん太い幹がダメになってきて、挿し木をして延命してきました。
2008年の3月に、その親株と一緒の鉢に植えられていた木に花が咲きました(その株はまだ元気です)。
昨年の12月に、その挿し木をした枝が大きく成長したものに蕾がついているのを発見しました。見つけたのは12月13日でしたが、徐々に大きくなっていく蕾を見守りつつ、年の暮れを迎えました。年末年始の休暇中に部屋の寒さで蕾がダメになってしまわないかと心配でしたが、新しい年を迎えても無事に成長を続けていました。

幸福の木は、学名を「ドラセナ・フレグランス マッサンゲアナ」といい、その名の通り、開花するとそこはかとなく良い香りが漂います。

まだ開花していませんが、花が咲くのが楽しみです。
めったに花をつけない植物なので、今年は何か良い事があるといいなと思います。

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毎年、年末か年始には社員の慰労と親睦を兼ねて食事会を開催しています(それ以外にも開催しております)。
本年は11月22日にちょっと早めの忘年会も兼ねて社員の慰労会を開催しました。
場所は豊橋駅前に1年前にオープンしたホテルアークリッシュ豊橋。15階のクラブフロア内の部屋を借りて開催しました。

10月中旬、船が2回続けて入港し多忙を極めましたので、その時一緒に忙しさを分かち合ったご近所の会社の方もお誘いしました。皆様お忙しい中「『今日はジュースさんからご招待を受けていますから』と、そそくさと仕事を切り上げて参りました。」的な感じで、ご参加いただけました。
当日はあいにくの雨模様で、15階からの眺めは今一つでしたが、それでも夜景がきれいでした。(晴れていたらさぞ・・・)

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当日は、ビンゴゲームを無料でお貸しいただけるとのことでしたので、全員に何かが必ず当たるビンゴゲームを行いました。1等の景品は「電動アシスト付折りたたみ自転車」。

 

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「ビンゴ!」した人から順に"クジを引く"というルールにしており、

(一番に「ビンゴ」したのは招待客の中のお一人でした、ごめんなさい)

結局1等の景品を引き当てたのは、ゲーム中盤に「ビンゴ!」した弊社社員でした。

何故か自転車の受け取りを拒否し始め、その後数日すったもんだがありましたが、最終的には自宅へ持ち帰り「乗り心地、最高ですよ」との感想をもらしていました。

 

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社員同士や現場スタッフ、ご近所の関係会社の方々、普段はそんなに会話ができない方々と親睦を深めることができました。

 

本年7月24日で会社創立20周年を迎えました。
今回は、建設当時の総責任者だった田中氏と、社員1号として入社した大谷幸市氏が会社創立20周年に寄せて執筆した文章を掲載します。


NJT創立20周年を迎えて
田中ヒデオ
僕は日本ジュース・ターミナル株式会社が設立して1年後に日本へ初めて来ることが出来ました。1991年11月24日でした。日本語はほとんど出来なくて古野さんや馬渕さんに助けて頂きました。
建設会社はまだ決まっていなかったので、3社の説明会に参加して最終的に大本組・富士電気に決まりました。当初はMr.Heymeyerや Mr.Nonino(Cutrale)やMr. Otavio Flores(Citrosuco)たちが日本へきていました。会社の建設が始まってからシステム関係はMr.Zalmへ決まりました。
月1回、Mr.HeymeyerとMr.Zalmは来日して工事の進行状況を確認に来ました。
1992年後半は朝倉さんや、大谷幸市さんと河合佐智子さんたちとプレハブで仕事を一緒にやっていました。1993年に石川さんが日本へ帰国して、開所式の準備で頑張ったことが記憶にあります。
会社で約20年の間たくさんな方に出会って、よく助けて頂きましたことを感謝します。

大谷幸市
私がNJTへお世話になり始めたのが1992年9月からだったと思います。その頃はまだスタッフ募集もされてなかったのでアルバイトという形で当時建設総責任者だった田中さんに無理にお願いし、採用して頂きました。その頃は、現在のコンテナ倉庫の所にプレハブが建てられNJT・ボカード社・大本組の事務所としていました。このプレハブ時代の印象にあるのは、英語・フランス語・ポルトガル語が飛び交っていたことや田中さんがボカードと大本組の仲介に苦労されていたこと、また冬のプレハブはすきま風が入りたいへん寒い中、石川さんが平然と仕事をこなされていたことです。そして、その後の開所式やジュースの海事件など今となっては懐かしく思い出されます。当初よりNJTの社風は、コンパクトな会社だけに社員あっての会社という考えがあり、人を大切にする姿勢また、自由で伸び伸びとした雰囲気があると思います。創業から20年を経て、NJTはこれからが飛躍・発展の時と信じ、社員として働いているという気概を一つのモチベーションにして、今後より一層の努力を心掛けていこうと思います。

本年7月24日で会社創立20周年を迎えました。

今回は、建設作業のプロジェクト室長で後に社長に就任した古野氏が、会社創立20周年に寄せて執筆した文章を掲載します。

 

 

「NJT創立20周年を迎えて」古野三喜生 (社内報【第93号】より抜粋)

速いもので、今年の7月24日でNJT創立20周年を迎えたとのこと、おめでとうございます。

20年前の1990年7月、会社創立と言ってもNJT建設作業を実質的に推進するために、東京の丸の内にあったアンダーソン・毛利法律事務所と同じ住所に日本ジュース・ターミナル株式会社が登記されたもので、とりあえずCutraleとCitrosuco夫々の指名でマークス・ハートマン氏とボイド・ウィルソン氏が取締役に就任しました。

当時、私は富士電機の一子会社Fuji Electric International(FEI)のプロジェクト室長でしたが、場所探しを含めたNJT建設作業の日本側協力者の一員として、プロジェクトマネジャーのハイマイヤー氏(Cutrale側)とフローレス氏(Citrosuco側)、ペーブシッチ氏、アンダーソン・毛利法律事務所(法務関係の日本側代理人)等へのお手伝いをしていました。場所は豊橋の現在地にほぼ決まったところでしたが、中間業者の介入や賃貸期間の問題、更には港運業会の事前協議問題があり未解決でした。これらの難関を乗り越え同年10月やっと三河港務所の同意を得、この場所の最終決定に至りました。これと並行して、ハイマイヤー氏・フローレス氏からの資料に基づいて、富士ライフ一級建築事務所の協力により建築確認申請を市役所に提出、同年12月確認通知を受領しました。プロセス設備や冷凍設備についても、両氏からの情報に基づき、日本および外国エンジニアリング会社やメーカーとコンタクトを重ね、絞り込みと協調作業で追われました。また、日本では初めての濃縮オレンジジュース・ターミナルであるがために、税関からの保税蔵置場の許可や食品衛生法に基づく許認可の取得に手間取りました。みかん生産者からの反対運動もありました。今思い起こせば、20年前のNJTとその環境はそのような時期でした。翌年の1991年夏、建築関係入札が丸の内のアンダーソン・毛利法律事務所の会議室で行われ、同年10月大本組に発注決定、同12月現場での建築工事が着工しました。その頃、田中さんがNJT社員第一号として現場に赴任されました。翌年は河合さんと大谷幸市さん、引き続き石川さんが建設現場事務所に参入され、賑わいを呈してきました。その後は、紆余曲折はあったものの建設作業もほぼ順調に進み、1993年4月NJTは晴れの開所式を迎えるに至ったわけです。なお、同年3月私もNJTの仲間入りをさせて頂きました。創業後は、社員一同のご努力によりNJTは大過なく稼働を続け、近年の業績は好調のようです。今後の更なる発展を切望いたします。

<ディスチャージ作業>

 日本ジュース・ターミナル㈱の長江です。

今回はディスチャージ作業についてご紹介します。

 

今月はホームページ内の「ニュース」にてご案内したように、船がきました。

これらの船は濃縮オレンジが冷凍保存されており、毎回積み込まれる量は異なりますが、大体約8~9千トンもの濃縮オレンジが弊社の保管タンクへと移送されます

 

移送作業には、入船される数日前から衛生面および安全面に関する準備が行われ、移送中にも移送ホースからジュースが漏れないよう、また品質に問題はないか、移送中の間監視する必要があります。

移送作業は移送する量によって異なりますが、約2~3日間かかります。

 

最後に1月1日に到着したタンカーをご紹介します(ホームページ内の「ニュース」でもご紹介しています。)。

このときは約9千トンもの濃縮オレンジを移送しました。

 

ODB123.JPGのサムネール画像 

 

 

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